「汝自身を知れ」
こんにちは!
とある本を読んでいて書きたくなったことをつらつらと。
さて、タイトルの
「汝自身を知れ」
デルフォイの神殿に刻まれていると言う有名な格言。
ソクラテスがここから無知の知に気づき己の哲学の出発点においたとされています。
さて、この言葉、あなたはどう受け取りますか?
身の程を知ること。謙虚でいることが大事。
こう考える人が多いかと思います。僕もそう思います。
そして、ソクラテスはこの言葉から、自分が何故、他の賢人達より優れていたかを知りました。
では、ソクラテスが他の人と比べて優れていた点、それは、、、
「無知の知」
つまり、己が無知であることを分かっていると言う点です。
ソクラテスは様々な賢人達と話をし、彼らの「自分は何でも知っている」と言うような傲慢さに気づきました。
そこで自分は「無知の知」を知っている点で他の誰よりも知恵者であることに気づいたのです。
そして、とある本の一節にこんな言葉がありました。
「人間は、自分自身をあわれなものだと、認めることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。」
あわれ、あはれ、あ はれ。
自分自身を内省できること。人間の強みであり弱みである。
哀れというと、可哀想、つらそう、なんだか同情をする言葉に聞こえる。
しかし、古語をたどると「あ はれ」となる。
「あ」は、素晴らしいことに対して、感動したときに、発する音。
「はれ」は「晴れ」でもあり、素晴らしいことにたいして使う言葉。
実際、古文で「あはれなり」はしみじみと趣深いなどの意味で使われている。
ここで本の一節
「人間は、自分自身をあわれなものだと、認めることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。」
どこまでも謙虚に自分の無知、無力さ、周りに助けられてること。
きちんと知っていて、自覚してる人は強いし立派だと思う。偉大。
そして
「汝自身を知れ。」
この言葉から、自身の「あはれ」さに気づいたソクラテス。
対人関係も同じかな。
どこまでいっても100%理解できるなんてありえないし、理解できたと思うのは危険なこと。
調子が良いときほど思い出したい。
「汝自身を知れ。」